あゆみ

第一期[昭和8年(1933)~昭和40年(1965)頃]

大和楽の発生~芽生えの時期である。創設時には、大倉喜七郎(聴松)と岸上きみを中心 に、團伊玖磨・藤原義江・原信子ら洋楽畑の音楽家も参加して、聴いて楽しむための鑑賞曲 が多く作られた。

やがて、西川鯉三郎・尾上菊之丞・吾妻徳穂らにより大和楽が取り上げられるようにな り、舞踊界との結びつきを強めた。この頃の作詞陣には、長田幹彦・笹川臨風・西条八十・ 長谷川時雨・北原白秋といった錚々たる顔ぶれが迎えられた。作曲では、稀に見る美声と音 楽的才能の持ち主であった岸上きみ、三味線の宮川寿朗(清元栄寿郎)が活躍した。

さらに、杵屋佐吉の門で唄い手として抜きん出ていた三島儷子が招かれ、大和楽の体制は 万全なものとなった。

第二期[(昭和40年(1965)頃~昭和44年(1969)]

大倉・岸上・宮川の三巨頭が相次いで亡くなり、唄方の三島儷子が孤軍奮闘した時代であ る。  作品もいくつか生まれたが、タテ三味線のパートナーが不在であったため、大和楽として は不遇の時期だったと言わざるを得ない。

時折、清元梅吉・清元栄三郎らも参加していたが、本来的な活動は行われなかった。

 

第三期[昭和44年(1969)~昭和62年(1987)]

『月慈童』(駒井義之作詞、芳村伊十七作曲)の作曲が縁となり、三味線の名手であった 長唄の芳村伊十七(のちの大和久満)が大和楽のタテ三味線として招かれる。  昭和44年(1969)、流儀運営のため、大和流が復活。昭和51年(1976)、三島儷子が大和美世 葵の名で初代家元となる。理事長に大和久満、理事に大和三千世・大和秀といった両ベテラ ンを加え、大和楽陣容がようやく整う。

大和久満が専属のコロムビアレコードより、レコード・カセットテープ・CDを発売する ことにより、全国的に大和楽が広まり、舞踊会にも盛んに取り上げられるようになった。

 

第四期[昭和62年(1987)~平成24年(2012)]

大和久満が二代目家元となり、唄方では大和三千世・大和礼子・大和左京らが中心となり 活躍する。 今日、大和楽が日本舞踊の一ジャンルとして他の古典音楽に並び、定着したのは大和久満の 最大の功績といえる。その生涯に700曲以上の作品を遺し、数々の名演奏を生んだ。それら は現在でも大和楽の大きな財産である。 また、久満の長女である大和櫻笙が大和楽を志し、大和楽の譜本刊行や、キングレコードへ の録音を開始するなど、次期家元としての礎を築いた時期でもある。

 

第五期[平成24年(2012)~現在]

平成24年(2012)、大和櫻笙が三代目家元を襲名、現在に至る。 唄方では、円熟の大和礼子・大和左京らが若き家元を支え、舞踊会を中心に大和楽の継承・ 発展に奮闘、海外での公演や後進の育成にも力を入れている。